岐阜県美術館[展示室3]入場無料
BEACON is a collaborated video installation project having been exhibited in various places since 1999, by Kosugi+Ando (art), Takashi Ito (video), Tadashi Inagaki (sound) and Hiroshi Yoshioka (text). Like the light of a lighthouse illuminating its surrounding view, two projectors on a rotating pedestal enable various sceneries emerge from and disappear into t h e darkness, keeping the position of each scenery fixed. For BEACON 2015 in Gifu, we will focus on the gesture of looking up in the sky,and show sceneries from Okinawa, Gifu and other places.
作品「BEACON」は、KOSUGI+ANDO(インスタレーション)、伊藤高志(映像)、稲垣貴士(音響)、吉岡洋(テキスト)、五人の共同制作による映像インスタレーション作品として、1999年以来少しずつ形態を変えながら、名古屋・京都・東京と各地で展示されてきた。灯台の光が周囲を照らし出すように、回転台上の二つのプロジェクターが、様々な風景を壁面上に浮かび上がらせ再び闇に返す。「BEACON 2015」では、「空を見上げる」という動作に焦点を当て、沖縄、岐阜、そして他の場所を巡る。
BEACON 2015は、「空を見上げる」という行為に注目する。「見上げる」という行為を通して、互いに隔てられた場所や人々を結びつけることを、試みたい。
人はそもそも、どんなときに空を見上げるのだろうか?
それはたとえば、この世の煩いから離れたいときであり、遠い存在に思いを馳せるときかもしれない。
またそれは、希望を持とうとするとき、あるいは反対に、絶望したときであるかもしれない(見上げるという行為において、希望と絶望とはつながっている)。
さらには乗り越えがたい障壁によって、突然行く手を阻まれたとき。それはつまり、自分は今まで閉じ込められていたのだと、知ったときだ。
空を見上げる。空には境界がない。
空においては、生と死すら隔てられていないかのように感じられる。この〈境界の無さ〉によって、空は私たちをやさしく抱きとめてくれる̶̶そんな気がする瞬間もたしかにある。
けれどまた人は、空から迫りくる脅威に気づいて、思わず空を 見上げる、といったこともあるのだ。飛行体の黒い不穏な影。ジェットやプロペラの音。
空。頭上に広がるこの圧倒的な空虚は、「安全」という幻想を打ち砕き、私たちが実はまったく護られてなどいないこと、原理的に無防備な存在であることを、告知するものだ。
空を見上げることは恐ろしい。それでも、空を見上げることは大切であると思う。私たちは、見上げる存在であり続けたい。本当に恐ろしいのは、人々がもはや空を見上げなくなるときではないだろうか。
沖縄に撮影に来たと言ったら「〈基地〉を撮りに来たんですか?」と尋ねられた。
僕たちは基地を撮りに来たのではない。BEACONがこれまで映し出してきたのは、いつも名もない日常の風景であったし、そのことは今回でもまったく変わりはない。けれど沖縄で撮影すれば、〈基地〉(あるいは〈基地〉的なもの)は自然に写り込んでしまう。それを意図的に避けないかぎりは。
美術が社会問題に言及するとき、美術は社会問題を自分のために「利用」しているのではないか?という疑いが、いつも起こる。この疑いを晴らすために、美術は社会問題にけっして言及しないという立場もあるし、逆に美術なんかどうでもよくなって、社会運動と一体化してしまうという立場もある。ぼくはどちらにも進めなかったので、この疑いの居心地の悪さをむしろ受けいれ、維持したいと思った。
主題化したいのは、意図的に造られながら自然なものとして提示されてきた現実、分断された日常的現実の様相である。一方には終わらない戦争と〈基地〉の沖縄があり、もう一方にはエキゾチックに観光化された沖縄がある。前者についてはシリアスな顔で議論すべきで、後者は無邪気に楽しめばよいとされている̶̶けれどこんな分断は作為的だ! 要するにどちらも、その場所は「日本でありながら日本でない」と言っているだけなのだから。
BEACON 2015によって提示したいのは、沖縄特有の問題とか魅力ではなくて、沖縄という場所は今私たちがいるこの場所(岐阜、京都、etc.)と連続しているという、ごく当たり前の事実である。空を見上げれば、その連続は実感できる。見上げることは、世間から自分を切り離す行為でもあるのだが、そのことによって同時に、新しい連帯を求めること、改めて手をつなぎ合う行為でもあるのだ。
展示風景
九州芸術工科大学在学中、松本俊夫ゼミ内で発表した実験映画『SPACY』(81)で一躍世界の注目を浴び、クレルモン・フェラン映画祭で「20世紀の100本の映画」に選出。超現実的な視覚世界や人間に潜む狂気や不条理を追求。近年はダンサーとのコラボレーションを積極的に行ない、実験的な舞台作品を多く手がける。代表作に『ZONE』(1995)、『静かな一日・完全版』(2002)、『最後の天使』(2014/オーバーハウゼン国際短編映画祭文化省賞)など。
九州芸術工科大学音響設計学科卒業。修士課程で松本俊夫ゼミに在籍し、映像を学ぶ。在学中より松本俊夫、伊藤高志らの映像作品のサウンドを手がけ、自らも映像作品を制作。ジョン・ケージ生誕100周年カウントダウン・イベント実行委員としてコンサートの企画・実行、及び音響に関わる(第1回/国立国際美術館(2007)〜第6回/京都芸術センター(2012))。
小杉美穂子と安藤泰彦による現代美術のユニット。1983年からギャラリーや美術館の一室全体を使ったインスタレーションを制作。1990年頃より映像やコンピュータ制御を作品に用いる。『CIRCULATION』(「世界の呼吸法」川村記念美術館、2005)、『KOSUGI+ANDO展』(国際芸術センター青森(ACAC)、2006)等多数。また作家活動と並行して、京都芸術センター他で、「SKIN DIVE」(1999)「channel-n」(2001)など、展覧会の企画・運営に関わる。小杉美穂子:帝塚山学院大学、精華大学等非常勤講師。安藤泰彦:IAMAS教授、「岐阜おおがきビエンナーレ 2013」総合ディレクター。
京都大学大学院文学研究科教授。IAMAS非常勤講師。専門は美学、情報文化論。著書に『情報と生命-脳・コンピューター・宇宙』(新曜社、1993年)、『〈思想〉の現在形-複雑系・電脳空間・アフォーダンス』(講談社、1997年)など。京都芸術センター発行の批評雑誌『Diatxt.』(ダイアテキスト)1〜8号編集長。「SKIN-DIVE」展(1999)、「京都ビエンナーレ2003」、「大垣ビエンナーレ2006」などの展覧会企画にも携わってきた。文化庁世界メディア芸術コンベンション(ICOMAG, 2011-2013)座長
〒500-8368 岐阜県岐阜市宇佐4-1-22
県図書館地下駐車場、美術館・図書館東駐車場または西駐車場をご利用ください。(無料)
※車いすをご使用の場合は、美術館通用口またはレストラン北側(2台)の駐車場をご利用ください。(無料)/
駐車場地図(PDF)
情報科学芸術大学院大学 [IAMAS] 事務局(担当・北村)
0584-75-6600
af@ml.iamas.ac.jp
岐阜県美術館
058-271-1313