2017. 3.4(Sat), 5(Sun)14:30~16:10 (14:10 開場) 入場無料
岐阜県美術館[講堂]
岐阜県美術館 情報科学芸術大学院大学[IAMAS]・共同開催企画
情報科学芸術大学院大学[IAMAS]に関係するアーティストを取り上げる『IAMAS ARTIST FILE』第4弾。IAMAS卒業生のALIMO(ありも)と若見ありさは、発表する場所は少し異なりますが「アート」を意識しながらアニメーションを作ってきました。国内のみならず海外でも評価される両名の作品上映とトークセッションが開催されました。
上映終了後にトークセッションが設けられました。両日とも西山恒彦(岐阜県美術館学芸員)の司会により、ゲストに林緑子(シアターカフェ・運営スタッフ)を迎え、初日はALIMOが、二日目は若見ありさが自作について語りました。
ALIMO(美術家)
林緑子(シアターカフェ・運営スタッフ)
西山恒彦(岐阜県美術館学芸員)
林まず、ALIMOさんの作品の制作技法についておうかがいしたいと思います。「切り紙」という紙を切ってコマ撮りをしながら動かしていく技法と「アニメーション・タブロー」という技法がメインで使われてると思いました。チラシに「描いては消し、描いては消し、それをコマ撮りしていく」というように紹介されています。具体的にどのような技法なのかを教えてください。
ALIMO僕自身が「アニメーション・タブロー」という名前を付けました。僕はもともと大学では油画専攻出身だったので、自分にはそういう、アイデンティティというと大きな話になりますけれど、スタンスがあります。技法としてはデジタル一眼レフカメラが僕の背後に設置されていて、キャンバスに油絵で描いてはワンショット撮って、また描いてはワンショット撮る。最終的に、絵が描き終わった時点では最後の絵しかキャンバスには残らないんですけれど、その過程がアニメーションというデータになって残る、という技法になります。
林どうしてそのような技法で作ろうと思われたのですか?
ALIMO2004年に制作した『園』が「アニメーション・タブロー」による最初の作品なんですけれど、もともとは油絵を描いていたんですね、自分のアトリエで。それで、画家出身の方は分かると思うんですけれど、描いている途中が良かったりすることが少なくないんですよね、描き過ぎてしまって後悔することが僕にもあって。それで、自分が描いている絵の状態をビデオカメラで撮ってみたんです。それは最終的に残った1枚の絵が何であるかっていうことはそんなに重要ではなくて、自分が何を捨てたのか。色であったり形であったり… 絵画の中で必ず捨てなければ完成に向かわないわけです。それで、その捨てたものに興味があって、ビデオに撮り始めたんですけれど、まぁ最終的にはビデオの方が絵画よりも興味深くなって。でもその時はまだそれが作品になるとは思わなくて。しばらく試行錯誤して、絵画とその過程というドキュメンタリー的な部分を併せ持つアニメーション技法に落ち着いたという流れです。
林絵を描く取捨選択の過程が、アニメーションというコマ撮りの技法になっていたということですね。とても面白いと思いました。普段、絵を描かれて一枚の絵として完成したときにその過程が見えない。描かれる過程は観客には見えない。その見えない、消していった部分、捨てられていった部分に注目するために、このような技法になったということですね。ところで、コマ撮りをすることによってコマとコマの間の、映像には含まれない時間がありますよね。映像で数分に凝縮されるけれど、制作の間には実際、もっと膨大な時間が流れています。そのコマとコマの間の時間というのはどのように捉えられているんですか。
ALIMOおそらく、いわゆるアニメーション作家の人たちはそのコマの間を埋めようと必死だと思うんですけれど… 。動かなきゃいけない、滑らかに動かさなければいけないので。でも僕は先程言ったように絵画出身なので、あまり動きに興味がなくて。絵を描いて撮影してその次の絵を描いた場合、AとBの間というのは、要は画家が次の絵に色を塗ったり次の形をつくったりするための「イメージを創出させる時間」なわけです。それが1分であったり10分であったりすると思うんですけれど。そういったイメージが出てくるまでの時間というものをなんとか収められないかなっていうので、アニメーションにしています。だからどちらかというとコマとコマの間の時間というのが僕の中で大切なものになっています。
林改めて拝見しまして、絵画ご出身ということで非常に絵画的な要素と、アニメーションの技法で作られているということもあってアニメーションらしさ、両方を併せ持った作品だということがよくわかりました。双方の要素がバラバラにならず、完全に溶け合うわけでもなく。注意深く見ていると絵画性とアニメーション性が認識できる形の、大まかに二つの要素が競合しあって共存しているような、そういう作風に感じました。絵画とアニメーション・映像の関係性について、どのようにお考えでしょうか。
ALIMO僕自身あまり絵画とかアニメーションというメディアに固着してるわけではないんですけれど、どちらかというと絵画にしろアニメーションにしろ、描くということですよね。身振り、行為と言ってもいいかもしれないですけれど、そういうものに興味があります。だからこそ2004年に、ビデオで記録を撮り始めたと思うんです。 その衝動は今も残っていて、描くということが何なのかということが僕にとって大事で、「描く」というのは、人間の根源的な本質があると思うんですよね。あとはアニメーションで言うなら、物語ることも人間にとっては本質ですよね、きっと。だからそういった二つを併せ持っているアニメーションは、僕にとってすごく大事です。
西山描くという行為そのものがドキュメンテーションとしてどんどん残っていくってことなんですけど、今回観ていても、コマがちょっとずつ動いていくっていうことだったら部分的に塗っていって部分的に描き足すっていうことだけれども、一気に塗り消してしまうってことも作品の中では見てとれたわけですよね。そういったアプローチの仕方で大きく違いが出てきていると思うんですけど、何かそのような動き方にしようと思った判断の基準みたいなのってあったんでしょうか?
ALIMOそれに関しては映像作家的な考えがあるんです。つまり、前のカットと次のカットに対してどれぐらい繋げるかということに関しては… 例えば、時間について言うと「次の日になった」という状況の場合は、ディゾルブやフェードアウトとフェードインなどを使って、色やイメージを徐々に変えて繋げていくケースの他に、展開を完全に分けたいといったケースではもうバサッと切り替えたりとかします。これに関しては描かれている物語に関係しているということですね。
西山ということは、物語のイメージはあらかじめある状態ということですか?
ALIMO物語は結構細かく出来上がっています。むしろ、どういう色を使うか、どういう人の顔にするかというのは全く絵コンテには描いていなくて、そこはもうその場でやりたいんですよね。
林作品を拝見して、音、ナレーション、音楽といったものが、重要な要素だと感じました。作品に対しての音はどのようにつけていくのか、どういう方がつけられているのかなど教えてください。
ALIMO基本的には僕の身近にいる友人に作ってもらいます。今回の上映でいえば、一番最初の『リーゾー』は学生だった頃の作品で、堀くんって方が音楽を作ってくれました。彼はIAMASの同期なんです。一方、一番最後の『WHITE』という作品は、IAMASの三輪先生の曲です。これは、山口にYCAMというメディア・アートセンターがあるんですが、 そのYCAMで「架空の映画音楽のための映像」という音楽ありきでどういう映画が作れるのかという企画があって、3人の作曲家の曲から選んで映画を作るんですが、その中の三輪先生の音楽を使わせていただいたというものです。その3曲の中から、一番作りにくいって言ったらあれなんですけれど、難しい音楽にチャレンジしたくて、三輪先生の曲を選びました。音楽ありきで作ったのはあの作品が初めてです。
林ALIMOさんは拠点をいろいろな場所に移されながら制作されていますね。例えば、最後に上映された『WHITE』という作品は、エストニアに長く滞在されていたときのものとうかがっています。場所が作品に与える影響についてはどのようにお考えですか?
ALIMO現代美術作家にはアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)という良いシステムがあると思うんですけれど、アニメーション作家にとってのAIRってすごく少ないんですよね。海外には少しあるんですけれど。それで、アニメーションを作っている作家として、AIRはどれくらい有効なのかということを試してみたかったんです。それがもし有効であれば現代美術のようにもっと多様な表現とか、いろんな種類の作家が現れると思ったんです。何というかアニメーション業界は表現も限られていて、世界としてちょっとつまらないんです。 実際にどうなのかなと思ってAIRをやってみたんですが、 結局、ドローイング・アニメーションをやってる場合は有効だと思うんですけれど、僕みたいにコマ撮り撮影する場合は、機材とか環境が全部変わってしまうので、エストニアに行ったときも全部それをやり直さなければいけなくて… 例えば、ライトにしても種類や国が違うと電圧も変わってくるので、色とかフリッカー状態も生じて… コマ撮り作家にはあまりオススメしないですね。すごく手間がかかります。ドローイングは問題ないのかなあと。
西山私も現代美術を担当していて、レジデンスの問題は重要だと考えています。ALIMOさんの作品を以前に拝見したのは、2年前の「DOMANI」という東京の国立新美術館での展覧会でした。これは文化庁の企画で海外派遣をした作家さん達が帰国して成果を出品するというものでした。今年度の「DOMANI」に出品していた作家さんの中にも海外の派遣先でアニメーションを制作していた作家の方がいらっしゃいました。いまパッと名前が出てこないですが…
ALIMO今年は折笠良くんですね。
西山ああ、そうでした。その方の作品でも感じたのですが、文化庁の一つの意義を踏まえると、いままで知り合うことのなかった人とのコミュニケーションを通して、作品だけではなくそのプロセスも同時に提示していくということだと思うんですね。ALIMOさんの作品でも、エストニアで人と関わって紙を受け取るわけですが、その紙は一言で白と言っても色々な白があって、既にメモ書きがされていたり、しわくちゃになってる紙があったりするけれど、同時に雪の中の白と関係しながら、なんとなく叙情的な、人間との関係をにじみ出しながら作品ができているところに私は興味を持ちました。しかも先程のお話を聞くと、最も厄介な音楽に対してのレスポンスであったということで、そうした関係から制作したこともなかなかチャレンジングな作品だったのではないかと。
ALIMO今日も久しぶりにこういう大きな舞台で、自分の作品を観るお客さんの反応にビクビクしていました。 だってあんな6分間もほとんど白画面だけの映像を… なんかこう、ホントに作者としては怖いですよね、反応が。でもあれは… 3.11のとき、僕は藝大の大学院生だったんです。あのときって僕の同期も、他の作家さんも漫画家さんとかも、そのことに対して作るか作らないかっていう議論があったんですよね。僕も当然それは自問自答していました。福島のことは長く続く問題じゃないですか。だから、その時だけ作るというわけにはいかないと思って、やはり責任がかかってくるって僕は判断したので、僕は作品では 3.11は扱わないって一応その時に決めたんですよね。決めておいてエストニアに行ったんですけれど、2年が経過したとき、日本から少し距離ができたからなのか、あまり構えずにそういうことも考えるようになりました。 実はあの『WHITE』という作品は僕の中では少しそういったことも含んでいます。牛乳が作品に出てきたと思うんですけれど、エストニアでも当然チェルノブイリのことがあったので、ロシアや下のウクライナなどから危ない牛乳が入ってきていたんですね、実際に歴史として。そういったことへの『WHITE』の意味はあります。 また、海岸ではバクテリアなのかよく分からないんですが、白い泡がずっと続いてるんですね。それは外国人の僕からすると危ない雰囲気が漂っているものでした。また、雪国のエストニアにとって白い雪はすごく美しいものですが、同時に危ないというか不気味なものでもあるということが、僕が暮らしていたときの体験としてありました。それでまた少し3.11のことを僕なりに考えて、でもあまり主張はしたくないので、この『WHITE』という作品に関しては、なるべく自分の手を加えないようにしたんです。他者とどう関わるかによって、映像やアニメーションが作れないかというところに関心がありました。
林機材のことを考えると、場所は変わらないほうが制作環境は安定して良い。しかし、作品のテーマや表現を考えたときに、そうではないケースも出てくる。だから結果的に、色々な場所からの影響は結構あるということですね。
ALIMO僕はアニメーションに新しい動きを見せたいですね。アニメーションの中だけで新しいことをやるんじゃなくて、内から外というか外から内といいますか、僕はやはり最初からアニメーションをやっていた人間ではないからこそ、そういうことをやりたくなるとは思うんですけれど。要は、机の上で絵を描くことをやめようというのが最初のきっかけだったんです。『WHITE』に関しても。机からまず離れれば、まず新しいきっかけができるんじゃないかということで、AIRとかやって環境を変えてみようと思ったわけです。
林短編の個人中心で制作されるアニメーション作品というのは今おっしゃってくださったとおり、どうしても家にこもって制作をするという方向になりがちです。いわゆる商業アニメのグループワークと全く違う場合が多いと聞きます。それが、テーマ性にも大きく影響してくる。特に日本の若い作家さんの作品は社会的なテーマをあまり取り扱わないものが、近年多いなと個人的には感じています。そことはまた違った、開かれた活動的な、社会とコミットしていくような要素も、ALIMOさんの作品や制作過程にはあるのだなと、お話をおうかがいして実感しました。
西山本日はどうもありがとうございました。
若見ありさ(アニメーション作家)
林緑子(シアターカフェ・運営スタッフ)
西山恒彦(岐阜県美術館学芸員)
林『Birth - つむぐいのち』は、どういった切っ掛けで、どのように作られていったのかを教えてください。
若見『Birth - つむぐいのち』はオムニバス作品で3作目が、私の体験談で監督とアニメーションを担当しています。まず、自分の経験として、妊娠8ヶ月のときに病院の方から「子どもを出産して母になる心構えができてないんじゃないか」って言われたんですね。「もうちょっと出産について調べたほうがいい、心構えを持った方がいい」ということで… それで、友達に話を聞いたり、出産のドキュメンタリーを観たりしたんです。3本くらい借りて見たんですけど、それが本当に怖くて。実写のドキュメンタリーだったんですが、女性がすごく痛そうにしてたり、血が出たり… それらに「うわっ~」と思ってしまって、「もう産みたくない」って思って。でも、その時は妊娠8ヶ月で産まないって選択は絶対できなかった状態だったんです。私は今まで生きてきて、仕事が嫌だったらやめたり、結婚が嫌だったらやめたり、いろんなことにやめるという選択肢があるけど、妊娠して出産をやめるってのは、殺人になるわけで「あ、産むのをやめることができないんだ!」と当たり前のことに気づいて… で、もうちょっと出産に関する違うものが見たいと思ったんです。出産の実写のドキュメンタリーはありのまま、しかも妊婦の視点じゃなくてカメラマンの客観的な観察するような視点で描いてすごく怖い。それで、絵本を探して読んでみたんですが、それはそれで抽象的にふわあっと描いてあって… そういったものを見ていてちょっと違和感を覚えたので、妊娠している人が怖がらず参考になって見られるものを作りたいなと思ったのがまずひとつの切っ掛けです。
2つめは、出産後、妊娠して子どもを育てるっていうのはすごく大変なことなんですけれども、その大変な過程で子どもの有り難さっていうのがどんどん薄れていくんじゃないかなって、いろんなニュースを見たり、人の話を聞いてる中で考えることがありました。子どもに対する虐待とかそういうものがなくなるように、何か社会的なことができないかなと考えていたんです。妊娠や出産の体験談をアニメーションにして、色々な人が観て知ることによって、ちょっと意識が変わるんじゃないかな?と考えたのが2つ目です。子どものためにどうするべきかって考えた時に、大人の意識をまず変えるべきだと思ったんです。私は出産して当時、女子美術大学というところで働いていたのですけれども、子どもはベビーシッターさんに預けて、19歳・20歳の学生を教えに行く。それを毎日繰り返しているうちに、自分が誰かにバトンを渡したいなと思って… 自分が表に出るんじゃなく、次世代の人のためになにか社会的な作品をつくれないかな。と思った時に、女性のためだけじゃなく色んな人にみてもらうために見やすく、子どもでも大人でも観れる。で、出産が大変だよとかあんまり、そんなに言いたくもなく、怖くない作品にしたいと思って、ちょっと今話せばいろんな思いが結構ある中で企画したのが、『Birth - つむぐいのち』でした。その前に『Blessing』っていう作品で、赤ちゃんと出産祝いのコマ撮りアニメーション作品を作っています。子どもが生まれた瞬間ってすごく嬉しいものなんですけど、次第にいろいろ、ちょっとつらいこともあったりとか、大変なこともあったりするけれども、その原点に自分もこうやって生まれてきたのかなという想像することによって、何か切っ掛けが作れたらいいなと思って作りました。
林この作品は、3名の監督によるそれぞれ技法が異なるアニメーションのオムニバスですね。最初の荒井知恵さんは手描きのアニメーション作品。二番目のこぐまさんも手描きのアニメーションで、パーツを切り抜いて動かし、また「止め絵」が多い作品。最後の若見さんの作品は、どういった技法なのか教えてください。
若見私の作品は砂アニメーションで作っています。ガラス板の下からライトを照らして、その上で砂を少しずつ動かしてカメラで撮影するという方法で作っています。今回の作品に関しては、夢の中を見てるような感じ… 私自身そうだったんですけど、妊娠中ちょっと非現実的な別な感覚があるというか、身体も普段とちょっと違ってますし、体質も変わったりしていて、なんかちょっと違うところを漂ってるような感じがあったので、砂アニメーションっていう特殊な技法で作ったというのがあります。砂を少し動かしては撮影をして、それを繰り返すことでアニメーションにする技法なんですけど、砂アニメーションは私にとって自分の頭の中をアウトプットしやすい表現方法なので選んだというのもあります。少しずつ動かして、例えば地震が来て砂がぐちゃぐちゃになってしまうとまた最初からやり直しなんです。なので、非常に緊張感がある中で制作することができるんですね。後戻りできないというか、それが自分の妊娠~出産体験とちょっと似ていた部分があって、そういう後戻りできない、どんどん作っていくしかないという… やり直すんだったらもう最初からやり直すといった潔さもあって、私にとって作りやすかった技法でした。
林ある意味で即興性というか、その場の緊張感までも含んで作られる。ちょっと特殊で触覚的な、ザラッとした質感が面白い技法だなと思いました。
西山この作品を作るのにどれくらいの時間がかかるのでしょうか?
若見見てもらった作品は、ちょうど2年ぐらい前に完成したんですけれど、ちょうどその時、2人目を妊娠していて、子どもが生まれる前に完成しないといけないなと思って作ってたんですけど、作ってる途中で子どもが生まれてしまって。で、病院から戻ってきてまた制作を再開したんです。 なので、2ヶ月ぐらいかかってますね。2ヶ月のうちの2週間は病院に入院してたんですけど。
西山即興性という言葉がありましたけども、ある程度連続して作り続けていくけれど、一旦止めるということもあるのですね。
若見最初のシーンから連続的に作っているのですが、カットのキリが良いところまでやって入院して、戻ってきて、またキリが良いところから作るという感じでした。そうですね、カットの難しいシーンで放っておくと、ちょっと地震が来たりするとぐちゃぐちゃになって、また元に戻さないといけないので。
林音もすごく印象的でした。ナレーションの声があって、そこに寄り添うように音楽の演出がされていますね。
若見作品のナレーションは基本的に体験談を提供してくれた原作者本人が行うことにしています。声が先にあって、そこにアニメーションがついて、その後に音楽や効果音をつけるんですけれども、1作目と3作目は松本祐一さんという作曲家の人に依頼しました。松本さんはIAMAS出身で私の後輩にあたるんですけど、以前松本さんのコンサートに行って、それがアニメーション作品に生で演奏をするもので、とても良かったんですね。それがきっかけで今回お願いしました。私はIAMASでアニメーションを作ってたんですけど、松本さんは音楽を作っていて、そういった感じでIAMASには色んな人がいるので、卒業した後も色々な人と繋がって、で、繋がることによって作品に幅が出たり、新しいものが見えたりってなるんじゃないかなと思ってます。この作品の場合、松本さんには漠然と「ピアノとバイオリンで」とだけ伝えて… で、いくつか彼が打ち込みで作ってきたのを何度かやり取りしていく中で、自分のイメージをかなり超えた音楽が出来上がってきました。
林『Birth - つむぐいのち』は様々な映画祭で受賞されていらっしゃいますね。以前から若見さんの作品はアニメーションの映画祭で受賞されてきています。この作品はアニメーションの映画祭のみならず、実写やドキュメンタリーの映画祭でもたくさん受賞されています。アニメーションという枠を超えて評価された魅力についてはどのようにお考えですか?
若見ひとつは企画だと思います。私も出産体験を実写のドキュメンタリーじゃなく、アニメーションで観たいと思っていくつか探したんですけど全然なかったんです。あまり作られていないジャンルだと知って、それをドキュメンタリーという形で是非やりたいと考えました。それから、出産というのが普遍的なテーマであることでしょうか。今日来ていただいている皆さんの誰もが、誰かの出産によって生まれているわけですし、出産の数だけドラマがあると思っています。どういう出産がいい悪いとかそういったものではなくて、本当に様々な出産のケースってありますよね。私もインタビューを40人か50人ぐらいにしたんですけど、どれも本当にすごくいい… いいというかドラマがあって、本当にどれも捨て難かったです。そして、出産はいろんな国の人にとって興味深いテーマであるはずというのもあります。
西山私は独身で、男性ということもあるかもしれませんが、出産というテーマは、これまでなかなか近づきにくいテーマでした。社会的には少し隠されてしまっていたり、あるいは何か神話化されていたり、イマジネーションの中の産物になっているようなところがありますね。けれど、確かに実写のドキュメンタリーではなかなか扱えない個々の心情の問題をアニメーションでアプローチされていたなと。で、まさにそれを体験している人間が同時に表現者でもあった場合に、それをどう表現していくのかっていうことが、興味深いポイントとしてあったように思います。
林この企画は本作だけでは終わらず、次の計画もあるそうですね。それについて教えてください。
若見『Birth -つむぐいのち』は2年前に完成したんですけど、今は『Birth -おどるいのち』を作っています。いまちょうど制作中で、3月下旬に完成予定です。『Birth -おどるいのち』は第2弾になるんですけど、その中の1作目は、妻を支えようとした男の人の話で、男の人の視点で出産を描いています。2作目は、トルコ人と結婚してトルコに移住した日本人女性の出産体験談で、トルコはイスラム教で食べ物も脂っぽいらしいんですけれども… 食生活も生活習慣も宗教も違う、そういったところで出産をする日本人女性の話。3作目は、お母さんが姙娠して出産するまでを、子どもからの視点でそれを見守ったという話です。『Birth - つむぐいのち』を作った後に、3つの話を選ぶのが大変だったんですけど、やっぱり男性の視点をもう少し入れたいと考えて、第二弾はそこが一番の中心になりました。第一弾の『Birth -つむぐいのち』は、いろんなところで上映して、たくさんの感想をいただいたのですが、「出産の時になると男性がいつも虐げられて可哀想だ」「女性は大変だね~」など、そういう感想をたくさんもらったのが気になっていました。本当のところは、妊娠して出産する女性から見ると、男性、夫は、頼りにしている存在に違いありません。で、第2弾は、男性の視点を取り入れています。まもなく完成予定です。
林第二弾の『Birth -おどるいのち』が完成したら、東海地区でも観られる機会があるといいですね。他に今後の活動について教えてください。
若見4月以降は、長編ドキュメンタリー作品のアニメーション監督をする予定です。監督の坂上香さんは『ライファーズ』や『トークバック』などの長編映画を作っている方で、国内初の刑務所ドキュメンタリー作品の予定です。坂上さんからお話を聞いた時に是非参加したいなと思いました。日本だと罪を犯した人は顔が出せないんですね。それから、入所している人っていうのは過去に両親に虐待されてたり、差別を受けたり、そういったことが少なからずあって、そういった過去に戻って撮影できない部分や、彼らの心象風景、与えられた差別のイメージだったり、悲しい出来事、そういったものをアニメーションでなら視覚化できるのではないかと。その他には、子ども向けのワークショップを、児童館や東京アニメアワードといったイベントで、子ども、乳幼児、お子さん連れのお母さん、そういった人へのアニメーションを作ってます。それから、NHKの『いないいないばあ』というテレビ番組の中で、ママが持ち歩いているハンドタオルが形を変えてヒヨコになったりクラゲになったりっていうアニメーションの制作にも関わっています。週に2回ぐらい放映しているんですけれど、今年新作を作る予定です。是非、観てもらえたらと思います。
西山本日はどうもありがとうございました。
〒500-8368 岐阜県岐阜市宇佐4-1-22
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
WEB:http://www.kenbi.pref.gifu.lg.jp/
JR東海道本線岐阜駅および名鉄岐阜駅から乗車[約10分]
県図書館地下駐車場、美術館・図書館東駐車場、美術館・図書館西駐車場をご利用ください。(無料)
車いすをご使用の場合は、美術館通用口またはレストラン北側の駐車場をご利用ください。(無料)
共催:岐阜県美術館 情報科学芸術大学院大学[IAMAS]
企画・コーディネート:前田真二郎(IAMAS教授)
フライヤーデザイン:丹羽彩乃 〈フライヤーPDF〉
協力:HDII 高精細映像技術を用いた表現研究プロジェクト